高齢妊婦だった自分を思い出す日

こんばんは。にっこりです。

いかがお過ごしですか。

 

現在も私はアメブロをほぼ毎日読んでいます。

好きなブログがあるからということに他なりませんが、今のアメブロにはホーム画面をみると「○年前の○月に書いた記事があります」ともれなく表示される機能があるんですね。

で。

ここ数日間表示されるのは2017年の今頃のこと。

4年前、42歳だった私は妊婦でした。

長く読んでくださっている方はご存知の通りですが、42歳の妊婦であることを公表して、で、数日のうちに悲しい結果となってしまったという過去があります。

3年間、必死に高度生殖医療を続けてようやくようやく授かったけれど、出産は叶わなかった。

 

さらに、人生というのは本当にドラマチックでして、私が出産予定だった2017年には妹と義妹がそれぞれ3人目、4人目を出産。

姪の一人と生まれる予定だった我が子は2週間と違わない誕生日でして。

生きるって苦しいなあとしか思えなかった。

現在、3歳と2歳の姪たちは本当にかわいくて「あの時うちにも生まれていたら、こんなかわいい子がいたのになあ」と思わないことはないです。

いいなあとはやっぱり思うけれど、うらめしい(!)とは思わない。

あるいは私はかわいそう、私はみじめ・・と思えてならないという感じもナシ。

そんな自分になれてよかった、というのが率直な気持ちであります。

 

2017年の夏はこの先どうやって生きていこうと途方に暮れるばかりで、明るい未来など考えられなかったから。

 

でも、その後アドラー心理学や潜在意識のことを学ぶようになり、元気に生きています。

やってみたいと思える仕事をはじめたり、家まで建てたり。

何より、ダメな自分にもOKを出せて、ホワホワと幸せに生きている。

 

もしタイムマシンで当時のぺしゃんこな自分に会いにいけるなら「あなたは絶対大丈夫」と言ってあげたい。

とはいえ、この境地に至るまでは悲しみも苦しみもありましたから、この時期のアメブロにもれなく表示される過去の記事にはどうしても「んっ!」と思ってしまうんですよね。

悲しみが消えてなくなったわけではない。

何かの拍子で思い出すことはあります。

でも、いつまでもクヨクヨしちゃいけない!とか、前向きにならなきゃ!とか、空に帰った子は引きずる私を望んでいないはず(苦笑)などというように、「こうあるべき、こうあらねば」という観点でジャッジしない。

そっか、そう思っているのね、私。と感じたことはそのまま認める。

どんな自分もOKだから。

だから悲しくなっても大丈夫。

 

同時に、私よくやったなあと勇気づけする。

 

そんな風に続けて現在に至ります。

 

・・それでですね。

勇気づけ、あるいは潜在意識のすごいところはこんな感じで自分の気持ちと向き合っていると、46歳、まだ超高齢妊娠を諦めないでいられること。

私、超高齢でも産む気満々ですが何か?くらいのノリで。

 

ただしそれは、何が何でも二人目がほしい!というのとは違うのですけれどね。

これについて書き出すと「まーまー、ワインでも飲みながらお話しませんか」的に(どんなでしょ?!)長くなるので、今日のところはやめておきますね。

いずれにしても、人生はオリジナルなもの。

自分にとっての幸せは自分で決めればいいんですよね、ってことで。

本日もお読みくださりありがとうございました。

おがわめぐみ

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妊娠出産子育て期や、40代は女性にとっての過渡期です。変化の波にのまれるのではなく、アドラー心理学などに基づいた「自分の人生をデザイン」していくための知識や...

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