キレイにもハッピーにもなれない時があっていい
こんにちは、にっこりです。
休み明けも雨模様、いかがお過ごしですか。
メイクレッスンが終わっての週末、一気に読んだ本があります。
いつもは「5分読書」の私ですが久しぶりに読むのをやめられなかった本です。
「対岸の家事」。
著書は「わたし、定時で帰ります」でおなじみの朱野帰子さん。
一日でいい。誰かにご飯を作ってもらいたかった。
出典元:「対岸の家事」矢野帰子著
こんな言葉で始まるこの小説の主人公は専業主婦の詩穂。2歳の女の子を育てています。その他の登場人物は働くママや、育休中のパパ友とバリバリ働くその妻、不妊治療の女性などなど。
読んでいて「あー、そうだった」「この感覚、わかる」を何度も感じました。
目次
ママはキレイが普通の時代
ママはキレイで当たり前のようになった現在。
街ゆくママも、妊婦さんたちもこの20年の間に本当に本当にキレイになった!というのが1999年から妊婦さん・ママたちのファッションウォッチをしてきた私自身、感じていることです。
女性が美しくなることは本来ステキなことだと思います。
妊娠してもキレイでいたい
出産してもキレイでいたい
子どもがいてもキレイでいたい
そんな女性たちの声を聞き、出来ることをコツコツと取り組んできたような私の20年。気づけばかつて携わってきた授乳キャミはミリオンセラーとなり、開発した授乳ブラも50万枚を超えていました。
もちろん現在は手を離れていますが、ママのキレイと喜びのために!を原動力としたその方向性は間違っていなかったのではと思っています。
妊娠したら、出産したらキレイはあきらめる時代は終わりました。
キレイになれない日だってある
けれど。
ママになってもキレイが普通になったことで、かえって苦しさを生み出すことにもなっていないか??という思いもありました。
私自身、出産後はそのジレンマに悩んだ時期がありました。
自分のことに手を掛けられる余裕があった妊娠中はまだ良かったのです。困ったのは産後。
生後3か月くらいになるまで、生まれた息子は本当によく泣くベビーでした。
出産前まではあんなに元気だったのに、産んでみたら首肩コリはひどいし、手指は痛む。でも整体や病院に行く時間なんてない。自分のための運動なんてできないので筋力は落ちる。
育児のやり方に自信がないのでいつも不安。だから余計に疲れる。
毎日育児をして、自分のことといえば食事とトイレとお風呂、最低限のことをするにも精一杯でした。
「キレイ妊婦になる方法」なんていうブログを書いていながら、産後3ヵ月くらいの私はキレイとは程遠い生活をしていました。
朝起きて洗顔したら、スキンケアもすっ飛ばして、とりあえず日焼け止めを塗る生活をしていました(日当たりの良いベランダで洗濯するのにはスキンケアよりUV優先としていた)。
それでも骨盤ベルトや授乳服の知識には随分助けられましたけれど。
たまに帰省する際、山手線の駅に出たときには駅で見かけるキレイな女性たちをまぶしくみていました。
でも、早起きして息子が寝ている時間に頑張って身支度をするより、少しでも寝て体を休める方を私は選んでいたということになります。
こんなに大変なのはきっと今だけだしと考えていたと思います。
けれど、小説の中に出ていた二人の子を育てながら働くママはそうではありませんでした。
毎朝五時に起きてる。そうじゃないと自分の身支度をする時間がないから。子どもがいるからってみっともない恰好で職場には行けないでしょう?みんなよりも遅く行く分、子どもたちが起きる前にメールチェックもしておかなきゃ。
中略
出社する頃にはもうクタクタなの。でも、そんなのは言い訳にならない。時短勤務な分、昼休みだってとらずに仕事して、気づいたらもうお迎えの時間なの
出典元:「対岸の家事」矢野帰子著
・・私も働くママだったら。同じようにすると思いました。
実際、息子が1歳4ヵ月の頃から少しだけ仕事を持つようになった時、年に数回の打ち合わせの際は頑張って身ぎれいにしていました。けれどそれは本当にごくたまにだったから出来た。
毎日働くママでない側から見ると、そんなに頑張りすぎないで!と声をかけてしまいたくなりました。でも、逆の立場だったら、、とやっぱり思いました。この辺りは複雑ですね。。
キレイなママが増えたと同時に、働く妊婦さんや働くママも増えたと思います。
女性が輝くナントカとかとも聞きます。
でもそんなに頑張れる人ってどのくらいいるのだろう??という疑問もあるのです。頑張れる環境は大事だけれど、必要以上に頑張らなければならない状況というのでしょうか。
いずれにしても、
キレイになれない日があってもいい。
産後、自分をそれに許したことはよかったと思っています。
子どもがいる家の家事
母になって気づいたことですが、家事はたぶん、大人だけだったらそんなに大変ではないのです。
共働き生活を3年経験した時は毎朝、夫婦分のお弁当を作って出勤していました。働きながらの家事、ラクチンではなかったけれどまあできるなという範囲でした。
土日は思い切り手を抜くこともできました。
難易度が急激に上がったのは出産が転機。
何一つ予定通りには進まない。何かを片づけているうちにまた仕事が増える。エンドレス。
子どもがいる家の家事というのは丸ごと休める日はないのだ!と育児を始めてから思い知り(気づくの遅い?)、茫然としたこともあります。
育児の孤独
小説の中には、育休パパも出てきます。育休をたっぷりとれるくらいの職場に勤めていて、幸せそうに最初は見えます。でも。。
主人公の詩穂も「他愛もない話」が出来る相手を探しています。
私自身もほとんど同じことを考え、かつてのブログに投稿したことがありました。
息子2歳頃の記事です。「妊友、ママ友」
基本一人が好きで、家にいることも大好き。にもかかわらず「ああ、大人の誰かと話したい」と心底思ったのは育児をしてからでした。
何となく話には聞いたことがありましたけど、自分はそういうタイプではないと勝手に思っていて、でも違ったという。笑
でもそんな風に気持ちが変わるくらい孤独になるのが、育児なのだなあと思います。
子連れで話せるサードプレイスもほしいですよね。。
ハッピーに思えない日があっていい
小説は家事と育児を通して、悩んだり苦しんだりしながらも自分の生き方と向き合っていく人たちの様子が描かれています。
自分にとって本当に大切なものは何か?
考える機会となるのが育児期なのだなと改めて思いました。
葛藤や慢性的な疲れもたまりやすいこの時期、ハッピーに思えない日があるのは当然です。
光と闇、太陽と月、喜びと悲しみ。
雨の日があるから、晴れの日のお日様のありがたさがわかる。
どちらか片方ではわからない。両極があるから幸せがわかるんですよね。
だからハッピーじゃない日があって大丈夫。そんな風にも思いました。
最後に
「対岸の家事」、色んなことを考えさせられて本日は思わず書いてしまいました。
共感するところも多かったけれど、丸ごと共感できたというわけでもなくて、設定には無理があるんじゃないかとか個人的には疑問に残るところもありましたが(!)、興味深く読みました。
家事も育児も出来て当たり前などではなく、誰でも出来るラクな作業でもないのだと。
そこには必ず頑張る誰かがいるから、世の中は動いているし命は続いているわけです。
本を読みながらも「ここで自己勇気づけができたらよかったのに」とか「イエスバッドじゃなくて、イエスアンドの発想があったらな・・」とか「失敗の受け止め方」とかELM(エルム)のあれこれも頭に浮かびました。
ただ、あまりにも状況が過酷なのは小説の中のこととはいえ、苦しくなりますね。
完璧なママでなくていい、幸せなママになろうの言葉がまた思い出されました。
相互信頼の精神も。
あなたはどんな風に感じるでしょうか?
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・・いつもブログの最初につけるキャッチフレーズ「ママのキレイとハッピーを応援♡」は本日はつけることを休みました。
キレイとハッピーを応援したい気持ちは人一倍ありますが
キレイじゃなくても
ハッピーじゃなくても
どんなあなたも自分もOK
なんですよね^^
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