家事とは永遠の○○の言葉に唸った夜

こんばんは、にっこりです。

 

家事とは、

言い換えるならば、

永遠の後かたづけ

 

とは、村上春樹氏の言葉です。

(出典元:「そうだ、村上さんに聞いてみよう」村上春樹著、絵・安西水丸)

 

・・村上さん、さすがの表現と唸った今宵。

ここ二日間ほど、これといって何か特別なことはしていないけれど「とんでもなく大きな台風が来るらしい。家事を担った身としてできることは」とあれこれしているうちに、あっという間に過ぎました。

自衛策は大事。

 

 

例えば、それは水の備え。

よりによって我が家のウォーターサーバーは毎月15日が配達日(!)。

すでに変更はできない時期にきており、今使用している水が飲み終わればストックは非常用の5年保管タイプ2リットルのみ。

一昨日、夕方の時点でスーパーの水は売り切れており(!)、昨日は水の購入がひとつの仕事でした。

何かあると、あっという間に水が買えなくなるのが東京。人の多さをあらためて痛感するのはこんな時

 

何とか見つけて購入するも、水というのは場所を取ります。*そもそも我が家はコンパクトな住まいです

 

水をなるべくすっきり片づけようとする。

ついでにここもあそこも片づけておこう → 段ボールのゴミが出てくる。それをヒモで束ねて。。あ、そうだ、洗剤も詰め替えておかないと!と詰め替えながら、今度は柔軟剤も詰め替え。

としているうちにゴミが出てくる。それを片づけていると、、ピンポーン。はいはい、宅配ですね。ありがとうございます。

わ、また段ボール出た → 片づけよう。

とやっていると(基本の家事に加えてて)、一日なんてほんとすぐ!息子が小さかった時などはもっとすぐ!!

 

 

今日は会議をいくつ終えた。校了をした。納品をした。

というような、わかりやすい成果が「ない」のが家事育児なんですよね。

その認識が未だに私の中では薄いらしく、会社勤めをやめて11年が経った現在でも「私、今日は何も成果を出していない。これでいいのか・・」と感じることはあります。

完全な専業主婦だった時は特に。

一日中、こまごまと動いたにもかかわらず「今日も私、“消費”しかしなかった・・」なんていう罪悪感を抱いたり(!)ですね。

けれど、そういう「自分責め」的考え方とは、だいぶサヨナラできるように。

 

本当に私は“消費”しかしなかった?

大事な家族たちが片づいた部屋で、清潔な衣服を身につけて、食事が出来るのはどうして??

 

そもそも「“消費”しかしなかった」という見方しかできなかった当時の自分、残念!(←かなり古い)。

 

でも知らなかっただけなんだよね。

その時はそう思っていたんだよね^^

違う見方があるって、知ることが出来てよかったねー。

 

今はそんな風に考えられるように(ELM講座でも学びます)。

Photo by Juan Manuel Giraldo Grisales on Unsplash

自分への勇気づけは日々の小さなことから。これが出来るようになると、心のコップもガス欠になることが減ります。ガス欠になる日もありますけれど。笑

 

先日の台風15号の爪あともまだまだの中の今回。

それでなくても普段から人口密度の高さに「何かあった時、どうなるんだろう。怖いな・・」と考えてしまう地方出身者の私です。

「きっと大丈夫!」という気持ちと「でも怖いな」という気持ちの狭間にいるこの週末。

 

偽ポジティブにならなくていい。

怖い気持ちもあってOK。

 

だって怖いですよねー。

ずっとニュースでも注意喚起していますし、スーパーやコンビニなどもいつもと違う空気感で売り切れの棚もたくさんあったりですし。

「ない」に注目すると、どんどん不安になったりしますよね。

 

怖い。でも大丈夫!

両方の気持ちを認めて過ごす金曜の夜であります。

おがわめぐみ

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妊娠出産子育て期や、40代は女性にとっての過渡期です。変化の波にのまれるのではなく、アドラー心理学などに基づいた「自分の人生をデザイン」していくための知識や...

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