不揃いでいい。不揃いがいい

寒い日曜日でしたね。いかがお過ごしでしたか?

休日なのでゆるめのネタにて失礼します。

 

週末に手に入れてホクホクな気分になったもの↓

細ーいサツマイモ。この細さを探していた!!

甘露煮にするのが目的。箸休めになる常備菜です。

 

一昨年の3月に現在の家に越してきましたが、近くにあるスーパーはわりと上品めな品揃えで価格帯も高め。

売られている野菜はお行儀よく、形もサイズも整っていて美しいのですが、私がほしいサイズのものが売っていないことが多いのです。

 

例えばそれは、本日のようなサツマイモだったり、他にはニンジンや玉ねぎのようないつもの野菜も。

ひとついくらのようなバラ売り野菜も、袋に入っている野菜も、同じ値段なら同じくらいのサイズのものが同じだけ入っているほうが“不公平感”もなくよいのだろうな、ということはわかります。

けれど、作る料理によってもそれに合う野菜のサイズもあるのになあと思う時があります。

家族の人数などもそう。

三人家族の我が家は大きい玉ねぎや大きいニンジンだと量が多く、半分だけ使用ということもよくあります。

恐らく、これが不便と感じてしまうのは、以前の家の近くの八百屋さんでは色んなサイズの野菜を売っていてくれたからかもしれません。

いかにも地域密着型という小さなそのお店は、サツマイモも色んな種類とサイズに分かれていて、大学芋にしたいなら大きいものを、甘露煮にしたいなら細いものを。

玉ねぎはS、M、Lに分かれていて、好きなサイズを買うことが出来ました。人参もグラム売りなので小さめがたくさん入った袋、大きいのがドーンと入った袋、色々あった。

形がいびつなものもあったけれど、それも味であり、それぞれの家に合うものが見つかりました。

 

 

そんなボヤキはともかくとして(長いボヤキにて失礼しました!)。

要するに、サイズの揃った野菜って、キレイだけどつまらないなあと思う今日この頃なのです。

 

そして、これは私たち人間にも通じるところがあるなと。

 

以前は「みんなが似ていて、みんなと同じようなら安心」と思っているフシがありました。

だって人と違うのは怖いから。

その発想しかなかったのです。

 

でも今は違います。

みんな、それぞれ違う方が楽しいよね!と心から思う。

 

 

こんな風に思えるようになったのはアドラーを学び始めた幼稚園ママの頃。

ママの年齢もこれまでの経歴も色々で、得意分野もそれぞれに違う。

私の不得意は誰かの得意で、誰かの不得意は私の得意であることに気づきました。

 

みんなが違うからお互いの得意を生かしたり、欠けてところをを補い合えたりする。

家族でも職場でも同様だと思います。

 

そしてそして。

そう思えるようになった大本には「私は私でOKなのだ」という自己受容が出来るようになったことが挙げられます。

 

どんな自分にもOKを出せると、自分の欠けているところにもそのままでOKを出せるので、欠けているところばかり気にしなくなるし、得意なところにも気づけるようになった。

 

何より、人との違いを楽しめるようになりました。

人は不揃いでいいし、不揃いがいいなと思います。

 

明日からまた月曜日。元気に行きましょう^^

おがわめぐみ

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妊娠出産子育て期や、40代は女性にとっての過渡期です。変化の波にのまれるのではなく、アドラー心理学などに基づいた「自分の人生をデザイン」していくための知識や...

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